なぜ山梨市でなく甲府市?山梨県庁所在地の謎と廃藩置県の真相
小学校の社会科や中学入試の地理で、誰もが一度は首を傾げた経験があるのではないでしょうか。「山梨県の県庁所在地はどこか」という問いに対し、反射的に「山梨市」と答えてバツをもらった記憶を持つ人は少なくありません。正解は甲府市ですが、県内には実在する「山梨市」という自治体も存在するため、混乱に拍車をかけています。 (あわせて読みたい:県立西宮病院の統合移転はどうなる?2026年最新情報と受診ガイド)
47都道府県を見渡すと、県名と県庁所在地名が一致しない自治体は全国に18あります。そのなかでも山梨県と甲府市の関係は、単なる地理の暗記にとどまらず、戦国時代から明治維新の廃藩置県へと至る日本の統治史が色濃く刻まれた格好のケーススタディです。なぜ甲府に県庁が置かれながら、県名は「山梨」になったのか。その歴史的背景と現代の都市機能を紐解きます。
📌 【この記事の重要ポイントまとめ】
- 要点1:山梨県の県庁所在地は「甲府市」であり、県内には別に「山梨市」が存在するものの、県庁機能が山梨市に置かれた歴史は一度もない。
- 要点2:明治初期の廃藩置県で一時「甲府県」となったが、県庁の置かれた場所の郡名(山梨郡)を採用する明治政府の方針により「山梨県」へ改称された。
- 要点3:甲府は武田信玄の時代から甲斐国の中心地であり、現在も甲府盆地唯一の中核市としてリニア開業を見据えた都市再編が進んでいる。
【なぜ不一致?】山梨県の県庁所在地が「山梨市」ではなく「甲府市」である理由

根本的な疑問である「なぜ県庁所在地が山梨市ではないのか」という点について、明快な答えを提示すると、「そもそも山梨市に県庁が置かれた歴史は過去に一度もなく、常に甲府が地域の中心地だったから」という事実に行き着きます。
山梨市という自治体が誕生したのは昭和29(1954)年の合併時であり、歴史としては比較的新しい市です。一方、県庁所在地である甲府市は、戦国時代に武田氏が拠点を構えて以来、甲斐国の政治・経済・軍事の心臓部として機能し続けてきました。
地名の成り立ちを遡ると、山梨という呼名自体は古代の律令制における「山梨郡」に由来します。山梨郡の語源には諸説あり、果物のヤマナシが多く自生していた説や、山が重なり合う地形「山ならし」が転じた説などが有力です。明治初期、甲府の町が属していた郡が「山梨郡」であったため、県名にその広域地名が採用されました。つまり、「山梨郡にあった甲府の街に県庁を置いた」というのが真相であり、後から誕生した山梨市が県庁を奪われたわけではありません。
明治維新の激動が生んだ県名|廃藩置県の経緯と「甲府県」から「山梨県」への改称劇

では、なぜ都市名である「甲府」をそのまま県名にして「甲府県」としなかったのでしょうか。ここには明治4(1871)年の廃藩置県をめぐる国の制度設計が深く関わっています。
旧幕府領などを整理する過程で、明治2(1869)年に一度「甲府県」が設置されました。しかし、その後の大規模な府県統合において、明治政府は地方行政区画の名称として「県庁が置かれた郡の名前を採用する」というルールを原則化します。当時、甲府城下町が編入されていた郡が山梨郡だったことから、明治4年11月に「山梨県」へと改称されました。
俗説として、「明治新政府に恭順しなかった旧幕府寄りの地域は城下町の名を奪われ、郡名を県名に改称させられた」という“懲罰説”が語られることもあります。しかし近年の歴史研究では、単なる行政上の事務的標準化(旧城下町の封建的イメージを払拭し、広域行政を円滑にする狙い)であった見解が定説です。いずれにせよ、この制度運用によって「県名は山梨、県庁は甲府」という組み合わせが定着しました。
武田信玄の遺産から甲府城跡へ|中世から続く中枢都市・甲府の歴史
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甲府という都市名のルーツを紐解くと、戦国最強と謳われた武田信玄の父・武田信虎の時代に辿り着きます。永正16(1519)年、信虎が躑躅ヶ崎館(現在の武田神社)へ本拠を移した際、「甲斐国の府中」を略して名付けられたのが「甲府」の語源です。
武田氏滅亡後、豊臣政権や江戸幕府にとっても甲斐国は江戸の西方を守る最重要拠点でした。武田時代の館から少し離れた場所に築城されたのが甲府城(舞鶴城)です。徳川家康の側近や親藩が城主を務め、江戸時代を通じて甲府は甲州街道の要衝として栄華を極めました。
現在、JR甲府駅の南東に広がる甲府城跡は、壮大な石垣が往時の威容を伝えています。甲府城の旧城郭内には明治時代以降、山梨県庁や官公庁が建設されました。政治の中枢が中世の館から近世の城郭へ、そして近代の行政機関へと、連続性を持って受け継がれてきた歴史が甲府には刻まれています。
中学受験・地理クイズ攻略!県名と県庁所在地が異なる都道府県の覚え方
学校教育の現場において、「山梨県=甲府市」の組み合わせは、テストや中学入試における頻出トラップの一つです。47都道府県の一覧を整理する際、県名と都市名が異なる自治体を体系的に整理しておくことが確実な得点につながります。
混乱を防ぐためのアプローチとして、まずは東日本エリアの不一致県をグループ化して把握するのが効果的です。
- 北海道・東北:北海道(札幌市)、岩手県(盛岡市)、宮城県(仙台市)
- 関東:茨城県(水戸市)、栃木県(宇都宮市)、群馬県(前橋市)、埼玉県(さいたま市)、神奈川県(横浜市)、東京都(新宿区)
- 中部:石川県(金沢市)、山梨県(甲府市)、長野県(長野市※一致)、愛知県(名古屋市)、三重県(津市)
山梨県を覚える際の語呂合わせや連想テクニックとしては、「武田信玄の甲府に、山梨県庁がある」と戦国の偉人とセットで記憶する方法が王道です。「ぶどう狩り(山梨)に行ったら、信玄公(甲府)に出会った」といったイメージ付けも記憶の定着を助けます。地理クイズでも「県名と同じ市があるのに県庁所在地ではないパターン(山梨市、栃木市、沖縄市など)」として出題されやすいため、セットで押さえておくのが鉄則です。
甲府盆地を牽引する中核市|山梨県庁と甲府市役所のアクセス・開庁時間
現在の甲府市は、甲府盆地の中央に位置する人口約18万人の地方中枢都市であり、山梨県内で唯一の中核市に指定されています。盆地特有の寒暖差を活かした果樹栽培やジュエリー加工産業、ワイン醸造など、独自の産業基盤を誇ります。
行政の要である山梨県庁と甲府市役所は、JR甲府駅南口から徒歩数分圏内の至近距離に隣接しています。両施設を訪れる際の基本スペックは以下の通りです。
- 山梨県庁舎(本館・別館・防災新館):
- 所在地:山梨県甲府市丸の内1-6-1
- アクセス:JR中央本線・身延線「甲府駅」南口から徒歩約3〜5分
- 開庁時間:平日8:30〜17:15(土・日・祝日・年末年始を除く)
- 見どころ:昭和初期に建てられた登録有形文化財「別館」や、歴史資料が展示された防災新館のオープンフロアなど、観光客も立ち寄れるパブリックスペースが整備されています。
- 甲府市役所本庁舎:
- 所在地:山梨県甲府市丸の内1-18-1
- アクセス:山梨県庁から南へ徒歩約2分、甲府駅南口から徒歩約5分
- 開庁時間:平日8:30〜17:15(一部窓口で延長業務あり)
駅前エリアには県庁、市役所、地方裁判所などの公的機関が集約されており、コンパクトシティとしての機能美を見せています。
【山梨 県庁 所在地】に関するよくある質問(FAQ)
Q1:山梨市には県関連の施設はないのですか?
A1:山梨市にも県の出先機関(山梨農林事務所など)は配置されていますが、県全域を管轄する本庁舎機能はすべて甲府市にあります。山梨市は笛吹川沿いに広がる果樹園地帯として、観光や農業の拠点という位置づけです。
Q2:甲府市と山梨市の距離はどのくらい離れていますか?
A2:JR中央本線の電車を利用した場合、甲府駅から山梨市駅までは普通列車で約15分(4駅)の距離です。車を利用する場合は国道140号などを経由して約30分程度で移動できます。
Q3:なぜ「甲府県」のまま残さなかったのですか?
A3:明治政府が旧城下町の封建的な権威を薄める目的や、県域全体を表す広域な「郡名」を行政単位に割り当てる方針を採用したためです。甲府城下町が山梨郡に編入されていたことから「山梨県」と命名されました。
まとめ:歴史の綾を知れば見え方が変わる甲府と山梨のこれから
山梨県の県庁所在地が「甲府市」である背景には、中世武田氏の国づくり、江戸幕府の要衝防衛、そして近代日本の統治機構改革という重層的な歴史のドラマが横たわっています。
リニア中央新幹線の新駅設置計画が進むなか、甲府盆地周辺の交通アクセスは大きな転換点を迎えています。東京・品川から約25分で結ばれる時代を見据え、山梨県と甲府市は首都圏のバックアップ拠点やワーケーション適地としての新たな都市づくりを急ピッチで進めています。単なる「テストの暗記項目」を超えて、歴史と地理の文脈から地域を眺め直すと、甲府という街の確固たる存在感がより鮮明に浮き彫りになってくるはずです。 (あわせて読みたい:びわの葉の万能効果と毒性の真相|エキス作り方から温灸まで徹底解説) (出典: 山梨 県庁 所在地(Yahoo!ニュース))